人身事故
出張から帰って来て、とても疲れてるところで人身事故。エレベーターで老夫婦が乗るのを待ってたら到着してた電車にギリギリ乗れなかった。(老夫婦は乗れたようだった)それから30分待つことになり、やってきた回送電車に乗ったら車内がとても冷たくて、この電車で事故あったんだなと思い気分は重くなる一方でとなりのおっさんがガム噛んでる音が本当に煩い。音楽の音量上げても不快すぎる。電車のアナウンスも人々が喋る声も煩い。煩い煩い煩い。何もかも煩い。早くお家つけ、そして落ち着け。ほんと性格悪いな自分。
ひとりでも
ひとりでも生きていけるように。大切なひとがいなくなることを想定して、それでもなんとか生きていけるように。大切なもの、自分の好きなもの、好きな系統を見つけていきたい。この世界に入れば何があってもいずれ立ち直れるという、普通、を持っている人は強い。素敵。かっこいい。今だから考えられること。今より若い頃は恋に夢中(いろんな意味で)で、この恋がなくなったら私死ぬわと思っていた。今より後、未来はもしかしたらまた変わるかもしれない思い。今だからこそ大切にしよう。気をつけよう。
備忘録
酔っ払いの戯言。どうしたらいいのかわからない。モノトリアムってこういうことを指すのだとしたら、一生モノトリアムなのじゃないかって思うくらい。一生一緒にいたいって思える人がいるのは今のだけなのだろうか。 誰と一緒にいても自分の考え方次第で全て幸せになれるだろう。過去から未来、正しい一線があるならどんなに楽なことなんだろう。距離とか時間とか物理的なことを飛ばせたらどうなんだろうか。君の一択だよ、と言われたらこれから生きるかもしれない50年くらいを背負って回答しないといけないのだから、今を生きたい私としても荷が重い。私の人生なのだから責任を負わないといけないんだな。責任を負うことから逃げてきたツケが来ているのかもしれない。ごめんね。
ココロ
自分の心が動くことは胸の奥が熱くなり、とても人間らしく感じます。相手の心が自分に向かなくなったとしてもそれは人間らしいことなのでしょうけれど、自分から離れていってしまうということはとても無機質な感じがしてしまうのでしょうね。わたしの頭の中の衝動はまるで低反発枕のような感じです。数時間前に感じた些細な衝動(例えば、木漏れ日の中で感じたこと)も時間が経つと風化して忘れそのことがなかったように生活してしまいます。昨日、去年、十年前の衝撃など今には無いに等しいでしょう。そう考えると、とても悲しい気持ちになります。しかし、そうでなければ生きられないのですから受け止めて、受け入れて今を生きるしかないのです。私のこころは今が一番なのです。
ひどいやつ
自分が本当にひどい人間だから、もし誰かがわたしがしてしまったようなひどいことをしたとしてもわたしは受け入れるしかないのだと思います。